第二の柱を確立、飛躍を遂げる
「焼肉のたれ」の発売から1975(昭和50)年までの7年間で、当社の売上高は約55億円にまで伸び、急成長を遂げました。1972(昭和47)年には神奈川県伊勢原市に工場を新設して量産体制を整えるとともに、一部の商品は協力工場で生産を開始。また、名古屋・仙台・広島・福岡・大阪・札幌など全国に支店を開設し、販売体制を確立しました。さらに、本社も横浜市神奈川区の松見町から沢渡に移転します。
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「焼肉のたれ」がヒットしたのを契機に、他社の新規参入が続き、焼肉のたれの市場が形成されていきました。その市場は、折からの高度経済成長によって所得が増加した消費者の洋食志向、食肉志向の波に乗って拡大を遂げます。また、飼料の改良や流通システムの発達により、おいしい牛肉が手軽に手に入るようになると、消費者の嗜好は、"安い肉をおいしく"というものから"おいしい肉をよりおいしく"に変化していきました。消費者の嗜好の変化とともに、それまでの肉をたれに漬け込んでから焼く"漬け込み"から、肉そのものの味を楽しむ"素焼き"という食べ方に変わっていきます。
食のニーズの変化に応えるべく、新しい焼肉のたれの開発がスタートしました。開発にあたり、創業者である森村國夫の「育ち盛りの子どもたちも肉をたくさん食べられるようなたれにしたい」という思いから、まずは子どもたちにも喜ばれる"甘さ"に注目しました。当時の研究員は森村から「たれだけでもすすれる(飲める)くらいでなくてはだめだ」と言われたそうです。ただ、醤油と砂糖だけで作ったたれでは、しつこくて、くどい甘さになってしまいます。飽きのこない甘さをどのように表現するかを試行錯誤した結果、塩分を抑えると同時に、まろやかでさわやかな甘さを出すために、フルーツをたっぷり使う手法にたどり着いたのです。
メインのフルーツにはりんごを使用。りんごには、果糖やリンゴ酸、クエン酸などの有機酸が多く含まれており、甘さと酸味のバランスが良く、日本人はそのおいしさになじみがあります。さらに、たれ全体のおいしさをアップさせるために、ももと梅を加えて3種のフルーツを絶妙なバランスで配合しました。りんごをピューレ状にすることで、肉とからみがよいとろみのあるたれになりました。
商品名は、"黄金"という言葉の重厚さと、当時放映されていたNHKの大河ドラマ「黄金の日々」にちなんで命名。発売と同時にテレビ、雑誌など各種の媒体を使ったプロモーションを行いました。210グラムで300円という高価格にも関わらず、狙い通り関西でも大ヒット商品になりました。発売初年の売上高は26億円、1982(昭和57)年には「焼肉のたれ」の売上に並び、当社の発展を支える商品となりました。